カテゴリー「話の話」の3件の記事

遠野物語

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小学館から「水木しげるの遠野物語」というコミックスが発刊される。

民話好き、水野しげる好きの自分としては、
これは外せんと購入する。

まず水木センセ、まもなくお歳が90になるであろうに、
まだまだ衰えを感じさせない現役ぶり。
(鬼太郎時代と比べるとタッチが優しくなった気はするが)

原作の方は文章が現代人にはわかりづらいが、
マンガだと非常に読みやすく物語に入っていきやすい。

きっと、当時の子供達も物語を
身近に感じながら語り部の話を聞いていたんだろうな~、
と思いながら読み終える。

「遠野物語」は今から100年前に民俗学の父とも言われる
柳田國男によって出版された。

柳田は遠野を訪れ土地の人物である佐々木氏に各村々に語り継がれる
100偏以上の怪異を聞き出しそれを簡潔にまとめ上げた。

河童、座敷童子、天狗など今でもお馴染みの妖怪たちが多く登場するが、
なかには怪異でも何でもなくただの軟禁殺人事件やん!
という物語もなにげに混ざっているところが面白い。

また物語の関係者が
「◯◯村の×△某という者が・・・」
とさも実在の人物が体験したこととして語られるので、
当時はさぞやリアリティのあった話だたろうと思う。

そういえば自分が子供の頃に、
親がまだ幼い時代は竹林がたくさんありそこから狸囃子が聞こえた、
小学校の先生が山で天狗倒しにあった、
という話をしてくれたことがある。
今思えばそれらは昭和以前の民話世界の微かな残り火だったんだろうな・・・。

口裂け女や人面犬などの都市伝説も、
現代の民話といえなくもないが。

遠野物語のなかでは、
遠野に旅行したときに語り部さんから直接聞いたということもあるが、
寒戸の婆の物語が一番、印象深い。
神隠し譚のひとつだが、
この孤独な老婆の心情を思うとなんとも切ないものがある。


寒戸の婆

松崎村の寒戸というところにいた娘がある日行方不明になる。
娘は戻ってこないまま何十年もの月日が流れた。
ある風のとても強い夜のこと。
その娘の家で親類一同が集まっていると、
誰かが戸を叩く音がする。
戸を開けてみるとみすぼらしい老婆が立っていた。
その老婆は行方しれずになっていた娘であり、
変わり果てた顔に見覚えのある親類が何人もいた。
「懐かしいなー。皆に会いたくなってて帰ってきた」
と老婆は言い、親類一同を見渡したあと、
再び何処へと去っていった。

それ以来、遠野では強い風が吹く日には、
「こんな日は寒戸の婆が帰ってきそうだ」
と言うようになった。

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キジも鳴かずば

懐かしいTVアニメのひとつ「まんが日本昔ばなし」。

ほのぼのした話、愉快な話に混じって、
怖い話、暗い話というのも少なくない。
しかし、そんな話のほうが記憶に残っていたりする。

「キジも鳴かずば」もそうした話のひとつ。

昔、犀川(石川県)のほとりに小さな村があった。
毎年、秋になると大雨のため川が氾濫し、
村では田畑が流され死者がでるなど大きな被害を受けていた。

そんな村に弥平と千代という貧しいながらも
仲の良い父娘が暮らしていた。

千代は手毬が好きな娘で、
いつも家の外で手毬をついていた。

ある日、千代が病にかかり寝込んでしまう。
弥平の家は貧乏なため医者に診てもらうことができない。

「おっ父、おら手毬がつきたい。
 また元気になれるかな」

そんな娘を弥平は看病しながら、
粟粥を食べさせようとする。
しかし千代は首を振り、

「粥はいらねぇ。小豆まんまが食べたい」

と、まだ母親が生きている頃に一緒に食べた、
唯一、美味しかった思い出のある小豆まんまをねだる。

弥平は娘のために地主の倉に忍び込み、
ほんの一掴みの米と小豆を盗みだした。
そして小豆まんまをこしらえて食べさせたところ、
娘は日に日に元気になっていった。

動けるようになった千代は、
弥平が畑仕事に出掛けている間に、
外にでて大好きな手毬をついた。

「とんとんとん
 おら家じゃ おいしいまんま食べた
 小豆の入った小豆まんま
 とんとんとん」

やがて村に秋が訪れ、
例年のように大雨の日が続くようになる。
犀川の氾濫を心配した村人達が
村長のもとに集まり会合をおこなった。

「川の氾濫を止めるには人柱しかねぇ」

村人の一人がそう叫んだ。

「しかし人柱になるのは咎人と決まっている」

もう一人の村人がつぶやく。

「いや、この村にも咎人が一人おる」

偶然、千代の手毬唄を聞いていた村人が、
その唄の内容をみんなに話した。

その夜、大勢の役人たちが弥平の家に押し入った。

「弥平、地主の倉から米と小豆を盗んだであろう。
 娘が歌っていた唄がその証拠じゃ!」

盗人としてひったてられる弥平。

「おっ父・・・」

不安そうにつぶやく娘に弥平は、

「心配するな。おっ父はじきに戻ってくる」

と娘を安心させようと笑顔で答える。
しかし、それが二人にとって最後の会話となった。

弥平はそのまま人柱として、
生きたまま犀川の土手に埋められた。

一人残された千代は何日も、
父親が埋められた場所で泣き続けた。
そして、泣き止んだあとは一切、
物を言わくなってしまった。

何年かの月日が流れ、
千代も大きくなったが喋ることはなかった。
そんな千代の姿をみかけることも少なくなったある日のこと。

村の猟師が雉を撃つため山に入った。
上空で雉の鳴き声が聴こえ、
すかさず猟師は雉を撃ち落す。

雉が落ちた場所に猟師が近づくと、
そこには死んだ雉を抱いた千代が立っていた。

「雉よ、お前も鳴かずば
 撃たれまいものを」

そうつぶやく千代をみて、

「おめぇ、口がきけただか!?」

と驚く猟師。

そしてそれ以後、千代をみた村人はいない。
しかし、この千代が残した最後の言葉だけは、
いつまでも村人の間で悲しく語り継がれた。


口は災いの元

それを伝えるための話にしては、
なんとも救われなさすぎる・・・。

いくつか諸説があるものの、
この話のもとになったと思われるのが「長柄の人柱」伝説。

飛鳥時代、大阪の淀川に架かっていた長柄橋。
(今の長柄橋ではなく、当時は吹田市と大阪市東三国の間に架かっていたらしい)
この長柄橋の建設が困難を極め、完成させることが出来ない。
そこで一人の長者が「袴に継ぎのある者を人柱に」と言ったところ、
なんとその長者の袴が継ぎがあったため人柱にされてしまう。
その長者の娘が射止められる雉をみて詠んだという和歌が今も伝えられている。

 物言じ 父は長柄の橋柱
 鳴ずば雉子も 射られざらまし

昔、大阪ではこの話を子供に聞かせ、
「せやからいらんことは言いなや」
と教えたそうな。


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ナルシスとエコー

自己陶酔する人物のことをよくナルシストと呼ぶ。
ナルシストの語源がギリシャ神話の登場人物、
ナルシスからきていることは割と知られているが、
このナルシスの物語に出てくるエコーについては、
あまり知られていない。
これではエコーが不憫なので、
ナルシスとエコーの物語をちょっと紹介。

エコーは森に住むニンフ(妖精)の一人だった。
エコーはとても美しい妖精だったが、
唯一の欠点は大変なおしゃべりなこと。
ある日、エコーの住む森にオリンポスの女神であるヘラがやってきた。
夫のゼウスがニンフたちと戯れていないかと、探しに来たのだ。
ヘラを恐れ逃げ出すニンフたち。
エコーはヘラに対して得意のおしゃべりをして、
ニンフ達が逃げる時間稼ぎをするが、ヘラに見破られ怒りを買ってしまう。

「今後、自分から話すことは許さない。
 相手が話したときのみ答えるがよい!」

こうして話好きだったエコーは、
自分からはまったく話すことができなくなってしまった。

そんなある日、森にナルシスという美しい青年がやってきた。

エコーは一目みてその美しい青年に恋をする。

エコーはナルシスに自分の想いを伝えるが、
ナルシスはオウム返しにしか反応できないエコーを疎ましく思い、
冷たくあしらう。

エコーは森の奥深くにひっこみ一人悲しんだ。
あまりにも悲しんだため肉体が消えてしまい、
声だけの存在となってしまった。

それを知った復讐の女神はナルシスに、
(自分しか愛せない)
という呪いをかける。

呪いを受けたナルシスは湖に映る自分の姿に心を奪われる。
ナルシスは毎日のように湖にやってきては、
水面に映る自分の姿に愛をささやくようになる。
そんなナルシスの傍らに一人のニンフが寄り添う。
そのニンフは声だけの存在になったとはいえ、
いまだナルシスに好意を持つエコーだった。
ナルシスが「ああ」と言えば、エコーも「ああ」と答える。
ナルシスが「愛している」と言えば、エコーも「愛している」と答える。

しかし、ナルシスの恋の相手は、
所詮、水面に映った自分の影。
触れることも、想いを通じ合うこともできないことで、
ナルシスは衰弱していき、とうとう死んでしまう。

そしてナルシスが死んだ辺りから一輪の花が咲き、
ナルシスの死を悲しんだニンフたちは、
その花に彼の名前を付けて弔った。

というのがおおまかなあらすじ。

反響音のことをエコーと呼ぶが、
語源はもちろんこの物語に出てくるニンフのエコーからきている。

そしてナルシスという花も実在する。
日本名で水仙と呼ばれている花のことだ。

特に怪物が出てきたり、英雄も出てこない地味なエピソードだが、
ギリシャ神話のなかでは、この物語が個人的には一番好きだったりする。

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