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生まれてきてくれて

あまりにも暗いニュースは意識的に取り上げないようにしているが、
こないだ大阪で起こった幼い姉弟餓死事件は、
いろいろ思うことがあったので徒然と書いてみる。

他人を愛せない無責任な子供が、
心が成長することなく大人になり子供を産んでしまった。
そして悪いことにその大人の格好をした子供には、
頼れる者も叱ってくれる者も近くにいなかった。
孤独感と子育ての邪魔くささから、
わが子への愛情を失い、
子供が飽きた玩具を捨てるかのように見捨てた。

世間で鬼、冷酷と罵詈雑言を浴びている犯人の母親は、
おそらく自分のやった行為がどれほど酷いことだったか、
まったく自覚が出来ていない。
だからこそ事件後、恐ろしいほど無邪気に、
わが子のことを忘れて遊んでいられた。

検死がすすんで姉弟らが閉じ込められた部屋の中で、
どういう末路を辿ったのかが明らかになってきたが、
わが子の最期の様子を知っても、
この母親は無邪気な子供のままでいるんだろうか?
それとも真摯にごめんなさいと思えるだろうか?

昔も飢饉などで親がわが子を手にかける間引きという風習があった。
しかし自分が遊ぶために間引いてしまうというのは、
なにかが飽和してしまっている。

この事件が怖いのはこの母親が決して特殊な人間ではなかったことだ。
育った家庭環境にいろいろな指摘もあるが、
どれも世間ではありがちなことで事件に結びつくような逸脱した要素はない。

ごく普通に生活している人物が、突然、身の毛もよだつ事件を起こす。
最近はすっかりお馴染みになってしまった。

他人への思いやりの欠如
歪んだ自己愛
生活の基盤が人間関係ではなく自己の欲求

自身と社会や家庭とのつながりが皆無なので、
生活基盤を喪失することへの恐れがない。

こういう人間はたくさんいる。
ただ事件を起こすきっかけがあるかないかだ。

う~ん、話が逸れてきた。
上の事件に戻ろう。

自分の身を守れない幼い子供が、
安心出来る場所が親の腕の中だ。
その親が守ってくれないどころか、
命を脅かされることになれば、
どうしようもなくなってしまう。

なんのために生まれたのか考えることもなく、
ただ怯えながら死を待つだけ・・・。

誕生(動画)

母親の子育てブログから、こうときもあったはず。
なんでその気持をもう少し大事に出来なかったのか。
希望ある上の歌が、ただ虚しく哀しく聴こえる。

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