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「いただきます」論争について思う

最近、「いただきます」論争なるものがあることを知った。

事の発端は、昨秋に永六輔さんがパーソナリティをつとめるラジオ番組に寄せられた視聴者からの手紙で、「給食費を払っているのだから、うちの子にいただきますと、言わせないで」と学校に申し入れをした母親がいた、という内容のものだった。それを番組で紹介したところ、大きな反響を呼んだ。反応の多くはその申し入れに対して否定的なものだったが、少数ながら支持する意見もあり、なかには「学校で手を合わせることは、宗教儀式ではないか」といった意見もあったそうだ。

この話を聞いて、そういう発想が生まれたことに、まず驚いた。
食べる前に「いただきます」、食べ終わって「ごちそうさま」と言うのは、日本に生まれれば、まるで空気ように身に付く習慣だ。それをじゃまくさいから言わないというのならわかるけど、「金を払っているのだから、感謝する必要はない」ということに結びつけるなんて、ある意味、よく思いついたと感心する。
否定的な見方からすれば、その発想には拝金主義、損得感情しかないと思える。
自分には、このお母さんは案外、正義感の強い人なのかもという気もする。
病院などで、医者はふかふかの立派な椅子にすわり、患者は固い丸椅子に座る。そして、終始医者は偉い人で、患者は弱い人・・・。患者はお客様のはずなのに、その関係っておかしい!
それと同じように、なぜお金を払っている側の子供がペコペコしないといけないか!と。
頭の中で、なにを考えようが自由だ。
当然、そういう発想もありだと思う。
この母親の場合、それを行動に移したということが一番ひっかかる。
仮に上にあるような正義感からの行動だったとしても、それってものすごく部分的なことだよ。
「いただきます」という習慣には、「命をいただくことに感謝する」「食べられるということに感謝する」など、損得感情にせよ正義感にせよ、もっとそれ以上の深い意味を持っている、とは思えなかったんだろうね。また、よ~く他人の意見を聞くなどすれば、行動に移すことはなかったのではと思う。
いっけん普通と思える人が、なんでこうも簡単に極端な行動に走っちゃうかな~。

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