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震災の記憶

1995年1月17日におきた阪神・淡路大震災から間もなくちょうど10年になる。
地震のあった時刻、自分は大阪の自宅で、たまたま起きていて椅子に座っていた。
5時46分、部屋が揺れだし、「あ、地震だ」と思ったが、いつも感じる地震と違い、激しくまた長時間だった。
目の前で本棚から本がバサバサ落ちるのが見えたが、動くことも出来ず、ただじっとしているしかなかった。
揺れがおさまりテレビをつけてみると、地震速報を流していた。夜の闇に包まれた町並みが映されていたが、特別変わった様子もなく、そのときはいつもより大きめな地震くらいにしか思っていなかった。
ところが夜が明け、テレビでは倒壊した家屋、高速道路、火災、時間を追うごとに跳ね上がっていく死者・行方不明者の数・・・、と信じられない光景が流れていた。そして、その後の長きに渡る混乱、復興・・・。
これらの出来事を忘れてはいけないと思う一方、その他の災害・戦争といった悲劇と同じく時間の流れのなかで、確実に風化していくだろうとも思う。

「災害は忘れたころにやってくる」
そのことを戒める石碑が大阪にある。
DSC00862大正駅近く大正橋の東のたもとにその石碑はひっそりと建っている。
時代は幕末1854年、安政南海地震の翌年に建てられたものだが、残念なことに場所が目立たないうえに、目の前がラブホテルとあって、人々の目にはほとんど触れることはない。
碑文には、地震とそれに伴う津波による被害の様子、前回の地震(宝永地震1707年)でも被害があったが、それを生かすことができず多くの犠牲者を出したことへの無念、この出来事を後世に残して欲しいとの願いが刻まれている。


DSC00863大地震両川口津波記(現代語訳)
嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
 大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
 同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
 地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
 安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約一・四メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。
 道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。 大黒橋から西の道頓堀川、松ヶ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。また、船場や島ノ内まで津波が押し寄せてくると心配した人々が上町方面へ慌てて避難した。
 その昔、宝永四年(一七〇七年)十月四日の大地震の時も、小舟に乗って避難したため津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどいなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲となってしまった。
 今後もこのようなことが起こり得るので、地震が発生したら津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対してはいけない。また、建物は壊れ、火事になることもある。お金や大事な書類などは大切に保管し、なによりも「火の用心」が肝心である。川につないでいる船は、流れの穏やかなところを選んでつなぎ替え、早めに陸の高いところに運び、津波に備えるべきである。
 津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で羽曳野の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は用心が必要である。
 津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。
安政二年(一八五五年)七月建立


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コメント

これは知らんかった。
のみに行く前にぜひ見に行きたいね。

投稿: きむら | 2005/01/16 23:37

ぜひ見に行ってください。
昔も今も想うことは同じなんだと、感慨深いものがあります。

投稿: ぽうせ | 2005/01/17 00:42

TBありがとうございます。
防災意識、持って無いといけないですね。
でもつい忘れがちです。
この北区にもものすごい活断層が走っているらしいです。

投稿: 店主 | 2005/01/18 13:09

店主さん、コメント&TBありがとうございます。
大阪都心部には南北に上町断層が走っています。この断層系で震度7の地震が起こった場合、全壊28万棟、半壊33万9千棟、死者1万9千人、負傷者13万2千人、避難生活者85万2千人と予想されています。自分の住んでいる場所にも生駒断層が走っていて、ここも震度7の地震で死者1万3千人と大きな被害が予想されています。地震そのものは防ぎようがありませんが、あとから「こうしていれば良かった」ということを、出来るだけ少なくしておきたいですね。

投稿: ぽうせ | 2005/01/18 13:53

ごりさです。こんばんは^^

早速お返事ありがとうございました!

これからもちょくちょく覗かせていただきますね^^

コチラにも遊びにいらしてください☆

投稿: gorisa | 2005/02/11 02:32

ごりささん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
「満月の夕」いい曲ですね。震災前夜はきれいなお月さんが出ていたとの話、なんだかしみじみしました。

投稿: ぽうせ | 2005/02/11 12:27

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